学ぶこと、教える事
最近気づいた事がある。
学べば学ぶほど、自分の無知に気づかされるということ。
学べば学ぶほど、分からなくなるということ。
知らない時の方が、知ってるように振舞っていたこと。
これはネットビジネスを通して気づいたことだけど、
どの業界でも同じなんじゃ無いかな。
何でも知ってるように話す人は
もしかしたら何も知らないのかもしれない。
謙虚で、何も知らなそうに話す人は
もしかしたら私達よりも深く、深く知っているのかもしれない。
知れば知るほど、
語る事に抵抗を覚えるようになるのは、
私だけなんだろうか?
教える事は2倍学ぶ事
結局、どんな立場にあっても、人は学ぶことしか出来ないのではないだろうか?
教えるってなんだろう。
気になったから調べてみた。
「教える」の「オシエ」は愛惜しむの「ヲシ(愛惜)」に接尾辞の「へ」がついたものであり、愛惜しむ心を持ち続けることがもともとの意味らしい。
義務感じゃなくて、そこには学ぶ人への愛があったんだって。
今とは全然違うなぁて思う。
いや、愛情持って教えてくれる人もいるけれど。
今の教える人達って
義務感
自己満足
そういった感情が多いんじゃないかな?
愛情で教えてくれるのって、両親くらいじゃないかな?
教えるってなんだろう。
確かに、好きな人、大切な人にしか、教えたいって思わないなぁ
後は自己満足か義務感。
本気で学びたい人もいないから。
本気で教えようとも思えなくて。
本気で学びたいと思ってやり始めたけど
本気で教えてくれる人がいなくて。
だから1人で、模索して、ここまできて
楽しいけど、少しだけ、たまに
寂しくなるときもある。
教育って、愛情からなってたのかぁ